好奇心と勇気と、たぶんもうひとつは諦観。
ほぼ日刊イトイ新聞のトップで糸井さんの書くコラム「今日のダーリン」が素晴らしかった。
今日のダーリンはアーカイブにも残らず、一日で更新されてしまうので、ここにコピペしておこうと思います。
好奇心も勇気も、もらうものではないよね。
自分の中から、出てくるもの。
しかも、大人になるとこれ、自分で「出す!」と決めて出てくるもののような気もする。
そして、諦観。
本質を捉える力、みたいなものだろうか。
好奇心+勇気+諦観=無敵。
以下 ほぼ日刊イトイ新聞2017年10月15日の『今日のダーリン』より引用。
・たくさんの人がする、いろんな質問を、
どんなものでもぜんぶ大きな箱に放り込んで、
がらがらがらとかき混ぜて、
「ざっと、どういうことを答えたらいいでしょう?」
というふうに、ものすごく大ざっぱにまとめるならば?
それは「好奇心」と「勇気」です。
という答えになるのではないか。
ちょっと、ほんとにやってみたい気がする。
世界中の人に、ひとり何通でもいいから
質問カードにじぶんなりの質問を書いてもらうわけ。
質問なんかないよ、という人には、
なんでもいいよ、思うことを書いてもらおうか。
何十億とか、何百億とか集まるといいね。
そこにさらに、過去にあったさまざまな表現から、
いろんな人が知りたがったことを抜きだして足していく。
どれだけ増えてもかまわない。
よく知らないけど、こういうビッグデータですかね。
どうしたらいいのか?
なにが必要なのか?
どこで分かれるのか?
なぜ、そういうふうになったのか?
すべては、「好奇心」のありなしと、
「勇気」のあったかどうかで決まるものです、と。
そう言っておいたら、答えになるんじゃないか、と。
ぼくは、あらゆる食物を、
「好奇心」と「勇気」を維持しさらに育てるために、
ありがたくいただきたいと思う。
そこでいただいた体力も、もちろん、
「好奇心」と「勇気」を支えるために使いたい。
生きていることとは、
「好奇心」と「勇気」を目覚めさせていること。
そうだなぁ、死ぬときにさえも、
「好奇心」と「勇気」で、そのときを迎えたい。
すくなくとも、いまは、そう思っている。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「好奇心」と「勇気」と、もうひとつはたぶん「諦観」。